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暮らし

身体のこと

本来の自分へ戻るとは、どういうことだろう。

堀江卓嗣

2026/1/16

本来の自分へ戻る」
「自分を取り戻す」

そんな言葉を、耳にすることがあると思います。

僕自身も、よく使ってきた言葉です。

でも、それって実際にはどういう意味なんだろう。

そう立ち止まって考えたことは、ありますか?

実は僕自身、この言葉を使いながら、ずっと問い続けています。

今の自分は、本来の自分ではないのか。
戻るとしたら、いったいどこへ戻るのだろう、と。

セッションをしているときや、自分自身がセッションを受け終わったあとに、ふっと、何もない“シーン”とした静かな空間を感じることがあります。

その空間はとても心地よくて、そのあとに何かを選ぶとき、迷いがほとんどありません。

何を食べるか。
何をするか。

「これを食べたい」
「これをやりたい」

そう感じたことを、まずそのまま選べる。

そこには、無理や我慢、理由づけがほとんどありません。

それは、自分に制限をかけていない状態なのかもしれません。

だとしたら、本来の自分とは「何かに縛られていない自分」なのではないか。

迷いなく選び、必要なものを取捨選択できる状態。

それができなくなっているとき、僕たちは本来の自分から、少し離れてしまっているのかもしれません。

ただ、「本来の自分ではない自分」が悪いわけではない、ということも忘れずにいたいと思っています。

迷いが出たり、制限が強くなったり、選べなくなる時期も、生きていれば自然に起こるものです。

それもまた、そのときの自分に必要な反応であって、否定するものではありません。

この“シーン”とした空間は、いわば「無」に近い状態だと感じています。

無であるからこそ、そこから自然に立ち上がってくるものには、無理がありません。

欲望なのか、執着なのか。

それとも、何にも縛られていないところから生まれた、本当に向かいたい方向なのか。

その違いはとても静かですが、体の感覚に表れることがあります。

無から出てくる選択には、どこか軽さがあり、自然さがあり、その先には静かな喜びが待っているように感じます。

大切なのは、「あ、今は少し制限がかかっているな」と気づけること。

そして、また戻れる感覚を知っていること。

それだけで、十分なのかもしれません。

「本来の自分へ戻る」という言葉が生きてくるのは、きっとこうした感覚を、体で思い出せたときなのだと思います。

何かを足すことでも、何かになることでもなく、余計なものが外れていった、その先にある自分へ。

僕自身もまだ、この感覚が何なのかを問い続けています。

そして、セッションという時間の中でも、一人ひとりが自分自身の感覚に気づいていけたらと思っています。